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アカデミー賞受賞なるか? 気鋭監督ブラディ・コーベットが描く『ブルータリスト』の勝算

第97回アカデミー賞の作品賞をはじめ、主演男優賞や助演女優賞、助演男優賞など10部門にノミネートされている『ブルータリスト』。新進気鋭のブラディ・コーベット監督がエイドリアン・ブロディを主演に迎え、ホロコーストを生き延びてアメリカへと渡ったハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トートの物語を紡ぐ。

3時間超の大作『ブルータリスト』

『ブルータリスト』は2月21日よりTOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開。

© DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. © Universal Pictures

上映時間が3時間35分。壮大な一編が、第97回アカデミー賞で最有力の一本になっている。今から21年前の第77回で作品賞に輝いた『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』が3時間21分、そして27年前の第83回の作品賞『タイタニック』が3時間14分。この長尺作品の頂点の歴史に名を連ねるかもしれないのが、この『ブルータリスト』だ。過去を遡れば、1940年の第12回の作品賞『風と共に去りぬ』が3時間42分だったので最長記録の更新はないものの、多くの名作と肩を並べるだけの見ごたえが備わっていることに異論はない。

主人公は、第二次世界大戦のホロコーストを生き延び、ハンガリーから決死の逃避行でアメリカへたどり着いたユダヤ人建築家、ラースロー・トート。その30年にもおよぶ劇的な運命が展開していく。ペンシルベニアの従兄弟の元に身を寄せたラースローは、ある豪邸の改築を頼まれる。その家の所有者で実業家のハリソンとの出会いが彼の建築家としての人生を大きく変える。ラースローの才能を知ったハリソンは、彼に一大プロジェクトを託すのであった。

一方で、ラースローの心をつねに支配しているのは、ヨーロッパに残してきた妻と姪の安否だった。ハリソンの交流関係を頼りに、彼女たちをアメリカへ呼び寄せようとする彼の苦闘も同時進行。第二次大戦後の混乱期を背景にしつつ、いわゆる“移民”の問題として現代にも訴えかけるのが、『ブルータリスト』の価値であろう。

36歳の気鋭ブラディ・コーベット

全米監督協会賞で表彰されたブラディ・コーベットとエイドリアン・ブロディ。

Photo: Maya Dehlin Spach/FilmMagic

監督・共同脚本・製作を務めたのは、ブラディ・コーベット。2024年の第81回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞したことから、その演出力が高く評価されている。コーベットはアメリカ生まれで、現在36歳。本作が長編監督3本目だ。もともと子役として映画界に入り、ミヒャエル・ハネケ、ラース・フォン・トリアーといったヨーロッパの鬼才監督の映画への出演経験もある。奇しくも劇場未公開だった2005年の出演作『ミステリアス・スキン』が、4月25日より日本公開されるので、俳優としての彼の資質も確認できる。

そのコーベットの監督としてのセンスは、『ブルータリスト』の冒頭から実感してしまう。ラースローが船でニューヨークに到着するシーン。おそらく真っ暗な船内に閉じ込められていたのだろう。一筋の光を求め、息も絶えだえに外気に触れた彼の目の前に、自由の女神が覆い被さるように姿を現す。今までのどんな映画でも観たことのないカットに、誰もが息をのむのではないか。

劇中ではラースローの考案する建築デザインが目を奪うが、たとえばクレジットの文字の出し方や、音楽の挿入の仕方など、作品全体に“デザイン”が意識され、そのあたりからもコーベットの才能が実感できる。過酷な運命が描かれながら、どこかカッコいい映画を観ていると感じるマジックが起こるのだ。冒頭で上映時間が3時間35分と書いたので、鑑賞を躊躇する人もいるかもしれないが、間に15分の休憩が入り、その15分間にもコーベットがささやかな演出をほどこしている。

© DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. © Universal Pictures

そんなコーベットの演出に応えたのがキャスト陣で、ハリソン役のガイ・ピアース、ラースローの妻エルジェーベト役のフェリシティ・ジョーンズが、それぞれアカデミー賞で助演男優賞と助演女優賞にノミネートされている。そして圧倒的な熱演で全編を支配するのが、主演男優賞ノミネートのエイドリアン・ブロディであることは言うまでもない。

ブロディのラースロー役で思い出すのは、彼がアカデミー賞主演男優賞に輝いた2002年の『戦場のピアニスト』だ(主演男優賞の最年少受賞記録)。同作でもホロコーストの生存者を演じていたが、今回のラースロー役では、一人の男の35年にもわたる変化を体現しながら、生涯かけて引きずってきた苦しみから、離ればなれになった妻への悲痛な感情、建築家としての野心とプライドまで、あらゆる心情を説得力をもって伝えていく。『戦場のピアニスト』での経験も生かして演じたというブロディ。映画ファンにとっては、一人の俳優が時を超えて似たような状況の役をどう演じ分けたか。表現力の進化とともに本作を観る喜びがある。

映画界に一石を投じるAIの使用

Photo: © A24 / Courtesy Everett Collection

そしてもうひとつ、この『ブルータリスト』で話題なのが、いま何かと物議を醸すAIの使用である。本作の編集担当がエイドリアン・ブロディとフェリシティ・ジョーンズのセリフ部分で、ハンガリー語が自然に聞こえるように、AIツールで発音の調整を行ったと告白。わずかな調整とはいえ、俳優の演技を加工したことが論議の的となった。また、ラースローの建築デザインのインスピレーションにも生成AIが使われたという。しかし、これはあくまでも「準備」のためで、『ブルータリスト』のような製作費が限られた作品には最善の策でもあろう。アカデミー賞を争うことになり、AIの是非が論じられているわけで、今後の映画界に一石を投じた意味は大きい。

このように長尺だけあって、さまざまな観点から見どころを発見できる『ブルータリスト』だが、今を生きるわれわれに最も強くアピールするのは、新天地でいかに自分の夢を切り開くか……というテーマかもしれない。「ブルータリズム」というイギリス発祥のミニマリスト的な建築様式を使うラースローが、異なる文化のアメリカで困難を克服しようとするプロセスに、多くの人が自身の人生を重ねてしまうはずで、その芯となるテーマが全編ブレないからこそ、高評価を受けているのである。時代や場所を超えてアピールするという、傑作のシンプルな条件が『ブルータリスト』には備わっている。

Text: Hiroaki Saito

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